トップページへ 各国王名一覧 | ||||||
※「ハンガリー hungary」とは英語名での国名。 現地ではマジャール magyarok人の国マジャルサーク Magyar Sarkと言う。 | ||||||
代 | 王名 | 在位 | 王朝名 |
関 係 |
備考 | |
他の王位、称号 | ||||||
ー |
アールパード Árpád |
ハンガリー大公 896~907 |
アールパード家 Árpád |
ー | マジャール人 Magyarのジュラ(大首長)。 生年845~907年没。 | |
ー |
ジョルト Zsolt |
ハンガリー大公 907~947 |
息子 | 前大公アールパードの息子。 生没896~949年没。 | ||
ー |
タクショニュ Taksóny |
ハンガリー大公 947~971 |
息子 | 前大公ジョルトの息子。 生年933~971年没。 | ||
ー |
ゲーザ Géza |
ハンガリー大公 971~997 |
息子 | 前大公タクショニュの息子。 生年949~997年没。 | ||
1 |
イシュトバーン1世 István Ⅰ |
ハンガリー大公 997~1000 ハンガリー王 1000~1038 |
息子 | 前大公ゲーザの息子。 1000年頃、キリスト教化によりローマ法王からハンガリー国王と認められた。 「聖王」と呼ばれた。 生年969~1038年没。 | ||
2 |
ぺーテル Péter |
ハンガリー王 1038~1041 |
甥 | 初代国王イシュトバーン1世の甥。 生年1011~1046年没。 | ||
3 |
シャームエル Sámuel |
ハンガリー王 1041~1044 |
親戚 | 初代国王イシュトバーン1世の義理の兄。 生年990~1044年没。 | ||
4 |
ペーテル Péter |
ハンガリー王 1044~1046 (復位) |
親戚 | 初代国王イシュトバーン1世の甥。 生年1011~1046年没。 | ||
5 |
アンドラーシュ1世 András Ⅰ |
ハンガリー王 1046~1060 |
親戚 | 初代国王位イシュトバーン1世の従兄弟 生年1013~1060年没。 | ||
6 |
べーラ1世 Béla Ⅰ |
ハンガリー王 1060~1063 |
弟 | 前王アンドラーシュ1世の弟。 生年1016~1063年没。 | ||
7 |
シャラモン Salamon |
ハンガリー王 1063~1074 |
甥 | 第5代国王アンドラーシュ1世の息子。 生年1053~1087年没。 | ||
8 |
ゲーザ1世 Géza Ⅰ |
ハンガリー王 1074~1077 |
従兄弟 | 前々国王アンドラーシュ1世の息子。 生年1044~1077年没。 | ||
9 |
ラースロー1世 László Ⅰ |
ハンガリー王 1077~1095 |
親戚 | 第6代国王ベーラ1世の次男。 「聖王」と呼ばれた。 生年1046~1095年没。 | ||
10 |
カールマン Kálmán |
ハンガリー王 1095~1116 |
甥 | 第8代国王ゲーザ1世の長男。 生年1074~1116年没。 | ||
11 |
イシュトバーン2世 István Ⅱ |
ハンガリー王 1116~1131 |
息子 | 前国王カールマンの息子。 生年1101~1131年没。 | ||
12 |
べーラ2世 Béla Ⅱ |
ハンガリー王 1131~1141 |
叔父 | 第8代国王ゲーザ1世の次男。 生年1108~1141年没。 | ||
13 |
ゲーザ2世 Géza Ⅱ |
ハンガリー王 1141~1162 |
息子 | 前国王ベーラ2世の息子。 生年1130~1162年没。 | ||
14 |
イシュトバーン3世 István Ⅲ |
ハンガリー王 1162~1172 |
息子 | 前国王ゲーザ2世の息子。 生年1147~1172年没。 | ||
15 |
ラースロー2世 László Ⅱ |
ハンガリー王 1162~1163 |
弟 | 第12代国王ベーラ2世の次男。 生年1131~1163年没。 | ||
16 |
イシュトバーン4世 István Ⅲ |
ハンガリー王 1163~1165 |
弟 | 第12代国王ベーラ2世の三男。 生年1133~1165年没。 | ||
17 |
べーラ3世 Béla Ⅲ |
ハンガリー王 1172~1196 |
親戚 | 第13代国王ゲーザ2世の次男。 生年1148~1196年没。 | ||
18 |
イムレ Imre |
ハンガリー王 1196~1204 |
息子 | 前国王ベーラ3世の息子。 生年1174~1204年没。 | ||
19 |
ラースロー3世 László Ⅲ |
ハンガリー王 1204~1205 |
息子 | 前国王イムレの長男。 生年1199~1205年没。 | ||
20 |
アンドラーシュ2世 András Ⅱ |
ハンガリー王 1205~1235 |
叔父 | 第16代国王ベーラ3世の次男。 生年1177~1235年没。 | ||
21 |
べーラ4世 Béla Ⅳ |
ハンガリー王 1235~1270 |
親戚 | 前国王アンドラーシュ2世の長男。 生年1206~1270年没。 | ||
22 |
イシュトバーン5世 István Ⅴ |
ハンガリー王 1270~1272 |
息子 | 前国王ベーラ4世の長男。 生年1239~1272年没。 | ||
23 |
ラースロー4世 László Ⅳ |
ハンガリー王 1272~1290 |
息子 | 前国王イシュトバーン5世の息子。 生年1262~1290年没。 | ||
24 |
アンドラーシュ3世 András Ⅲ |
ハンガリー王 1290~1301 |
叔父 | 第19代国王アンドラーシュ2世の次男。 生年1265~1301年没。 | ||
ページトップへ インデックスページへ | ||||||
25 |
ヴェンツェル Vencel ヴァーツラフ3世 Václav Ⅲ ヴァツワフ3世 Wacław Ⅲ |
ハンガリー王 1301~1305 |
プシェミスル家 Přemyslovců |
縁戚 | ハンガリー王家のアールパード家が断絶したため、母方の縁戚だったプシェミスル家がハンガリー王家を継いだ。 第21代国王ベーラ4世の曾孫。 ハンガリー王としてはヴェンツェル、ボヘミア王としてはヴァーツラフ3世、ポーランド王としてはヴァツワフ3世。 生年1289~1306年没。 | |
ボヘミア王(1305~1306)、ポーランド王(1305~1306) | ||||||
26 |
オットー3世 Ottó Ⅲ オットー Ottó |
ハンガリー王 1305~1307 |
ヴィッテルスバッハ家 Wittelsbach |
縁戚 | 第21代国王ベーラ4世の孫。 バイエルン公としてはオットー3世、ハンガリー国王としてはオットー。 生没1261~1312年没。 | |
バイエルン公(1290~1312) | ||||||
※選挙王制・・・世襲ではなく、選挙で王を決めるようになった。 | ||||||
27 |
カーロイ1世 Károly I |
ハンガリー王 1308~1342 |
アンジュー家 Anjou |
縁戚 | 第22代国王イシュトバーン5世の曾孫。 生年1288~1342年没。 | |
28 |
ラヨシュ1世 Lajos Ⅰ ルドヴィク1世 Ludwik Ⅰ |
ハンガリー王 1342~1382 |
息子 | 前国王カーロイ1世の長男。 ハンガリー国王としてはラヨシュ1世、後のポーランド王としてはルドヴィク1世。 生年1326~1382年没。 | ||
ポーランド王(1370~1382) | ||||||
29 |
マーリア Mária |
ハンガリー王 1382~1385 |
娘 | 前国王ラヨシュ1世の次女。 生年1371~1395年没。 | ||
30 |
カルロ3世 Carlo Ⅲ カーロイ2世 Károly Ⅱ |
ハンガリー王 1385~1386 |
親戚 | ナポリ王としてはカルロ3世、後のハンガリー国王としてはカーロイ2世。 生年1345~1386年没。 | ||
ナポリ王(1382~1386) | ||||||
31 |
マーリア Mária |
ハンガリー王 1386~1395 (復位) |
娘 | 第28代国王ラヨシュ1世の次女。 復位した。 生年1371~1395年没。 1387年から夫のジグムントとの共同統治。 | ||
32 |
ジグムント Zsigmond |
ハンガリー王 1387~1437 |
ルクセンブルク家 Luxemburg |
夫 |
1387年から妻のマーリアとの共同統治。 単独統治は1387年から。 1368~1437年没。 | |
神聖ローマ皇帝(1433~1437)、ボヘミア王(1419~1437) | ||||||
33 |
アルベルト Albert アルブレヒト2世 Albrecht II |
ハンガリー王 1437~1439 |
ハプスブルグ家 Habsburg |
娘婿 | 前国王ジグムントの娘婿。 アルブレヒト2世として神聖ローマ皇帝位を継いだが、ローマ法王の戴冠をできなかった。 生年1397~1439年没。 | |
ドイツ王(ローマ王)(1438~1439)、ボヘミア王(1438~1439) | ||||||
34 |
ウワディスワフ3世 Władysław Ⅲ ウラースロー1世 Ulászló Ⅰ |
ハンガリー王 1440~1444 |
ヤギェウォ家 (ヤゲロー家) Jagiellonów |
遠戚 |
前王アルベルトの娘の結婚相手ポーランド王カジェミェシュ4世 Kazimierz Ⅳの兄。 ポーランド王としてはウワディスワフ3世、ハンガリー王としてはウラースロー1世。 生年1424~1444年没。 | |
ポーランド王(1434~1444) | ||||||
ー |
フニャディ・ ヤーノシュ Hunyadi János |
ハンガリー摂政 1446~1456 |
フニャディ家 Hunyadi |
ー | 前国王ウラースロー1世の死後、無政府状態のハンガリーの国を安定に導いた。 生年1387?~1456年没。 | |
35 |
ラースロー5世 László Ⅴ ラディスラフ1世 Ladislav Ⅰ |
ハンガリー王 1452~1457 |
ハプスブルグ家 Habsburg |
義弟 | 第33代ハンガリー王アルベルトの長男。 ハンガリー王としてはラースロー5世、ボヘミア王としてはラディスラフ1世。 12歳で王位を継いだ。 生年1440~1457年没。 | |
ボヘミア王(1453~1457) | ||||||
36 |
マチャーシュ1世 Mátyás Ⅰ |
ハンガリー王 1458~1490 |
フニャディ家 Hunyadi |
ー | 摂政フニャディ・ヤーノシュの息子。 生年1443~1490年没。 | |
37 |
ヴラジスラフ・ ヤゲロンスキー Vladislav Jagellonský ウラースロー2世 Ulászló Ⅱ |
ハンガリー王 1490~1516 |
ヤギェウォ家 (ヤゲロー家) Jagiellonów |
ー | 第34代ハンガリー王ウラースロー1世の甥。 ボヘミア王としてはウラジスラフ・ヤゲロンスキー、ハンガリー王としてはウラースロー2世。 生年1456~1516年没。 | |
ボヘミア王(1471~1516) | ||||||
38 |
ラヨシュ2世 Lajos Ⅱ ルドヴィーク Ludvík |
ハンガリー王 1516~1526 |
息子 | 前国王ウラースロー2世の長男。 ハンガリー王としてはラヨシュ2世、ボヘミア王としてはルドヴィーク。 生年1506~1526年没。 | ||
ボヘミア王(1516~1526) | ||||||
ページトップへ インデックスページへ | ||||||
39 |
フェルディナント1世 Ferdinand Ⅰ |
ハンガリー王 1526~1564 |
ハプスブルグ家 Habsburg |
息子 | 前国王ラヨシュ2世の義理の兄。 第30代ハンガリー王カーロイ2世の子孫。 以降、ハンガリー王位はハプスブルグ家の世襲となった。 生年1503~1564年没。 | |
オーストリア大公(1521~1564)、ボヘミア王(1526~1564)、神聖ローマ皇帝(1556~1564) | ||||||
40 |
ミクシャ1世 ? マクシミリアン2世 Maximilian Ⅱ |
ハンガリー王 1563~1572 |
息子 | 前国王フェルディナント1世と第38代国王ウラースロー2世の娘アンナとの息子。 ボヘミア王としてはミクシャ1世、ハンガリー王としてはマクシミリアン2世。 生年1527~1576年没。 | ||
ボヘミア王(1562~1575)、オーストリア大公(1564~1576)、神聖ローマ皇帝(1564~1576) | ||||||
41 |
ルドルフ2世 Rudolf Ⅱ |
ハンガリー王 1572~1608 |
息子 | 前国王マクシミリアン2世の次男。 生年1552~1612年没。 | ||
ボヘミア王(1575~1612)、神聖ローマ皇帝(1576~1612) | ||||||
42 |
マーチャーシュ2世 Mátyás Ⅱ |
ハンガリー王 1608~1619 |
弟 | 前々国王マクシミリアン2世とマリアの四男。 生年1557~1619年没。 | ||
神聖ローマ皇帝(1612~1619) | ||||||
43 |
フェルディナント2世 Ferdinand Ⅱ |
ハンガリー王 1619~1625 |
従弟 | 前国王マーチャーシュ2世の従弟で、第23代の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の孫として生まれた(父はシュタイアーマルク公カール2世の長男)。 イエズス会に育てられたため、強硬なカトリック信徒だったため、自身のハプスブルク領内のプロテスタントを弾圧、追放した。 そのことでドイツ30年戦争(1618年)が起きた。 まずボヘミア王位を簒奪したプファル選帝侯フリードリヒ5世を倒し、選帝侯位も奪い、自身に味方したバイエルン公マクシミリアン1世にその地位を与えた。 続き、自身の地位を確立させるため、新たに200の爵位(100以上の男爵、70以上の伯爵、15の辺境伯と公爵、七帝国諸侯)を叙爵した。 傭兵隊長ヴァレンシュタイン Wallensteinが次なるデンマーク戦争に勝利し、デンマーク王位を奪還した。 「プロテスタント教会領をカトリック教徒領に戻す」という乱暴な「回復令」を発令した。 しかし、余りに無謀な政策(皇帝位はハプスブルグ家の世襲にする等)を進めたためにカトリック諸侯にも反感を買い、ヴァレンシュタインを罷免した。 更にフェルディナント2世によるバルト艦隊の創設に反対するスウェーデン王グスタフ・アドルフ Gustav Adolfは、ドイツのプロテスタント諸侯の救援を名目に、ドイツに攻め入った。 ところが、ヴァレンシュタインの再雇用でグスタフ・アドルフは敗れ、死亡した。 生年1578~1637年没。 | ||
ボヘミア王(1617~1619、1620~1637)、オーストリア大公(1619~1637)、神聖ローマ皇帝(1619~1637) | ||||||
44 |
フェルディナント3世 Ferdinand Ⅲ |
ハンガリー王 1625~1657 |
息子 | 前国王フェルディナント2世の三男。 曾祖父の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の治世で始まった30年戦争を終わらせ、ウェストファリア条約 Westfälischer Friede(1648年)を締結した。 それにより、「領民の宗教は領主の宗教」とされ、スイスとオランダが帝国を離脱した。 同時にスウェーデンはいくらかのドイツ諸侯領を手に入れ、帝国等族となった。 生年1608~1657年没。 | ||
ボヘミア王(1627~1646)、神聖ローマ皇帝(1637~1657) | ||||||
45 |
フェルディナント4世 Ferdinand Ⅳ |
ハンガリー王 1647~1654 |
息子 | 前国王フェルディナント3世の三男。 生年1633~1654年没。 | ||
ボヘミア王(1646~1654)、ローマ王(1653~1654) | ||||||
46 |
レオポルト1世 Leopold Ⅰ |
ハンガリー王 1655~1705 |
弟 | 前国王フェルディナント4世の弟。 父である神聖ローマ皇帝フェルディナント3世とスペイン王フェリペ3世の娘マリア・アンナの次男として生まれた。 ハプスブルク家の領地ウィーンを狙うオスマン・トルコのスルタン sultān(王)モハメド4世 Mohammed Ⅳは、フランス王ルイ14世 Louis XIVを中立にさせ、ハプスブルグ家領地に攻め入った(1683年)。 これに対し、帝国諸侯は宗派を超えて協力し、勝利を治めた(この時ウィンナーコーヒーが広まった)。 その後、フランスのヴェルサイユ宮殿 Palais de Versaillesに対抗し、バロック調のシェーンブル宮殿 Schloss Schönbrunnを建設した。 これにより、バロック大帝と呼ばれた。フランスに対抗するため、イギリスのハノーファー公家(後のハノーファー朝)に選帝侯位を授けた。 この時、神聖ローマ帝国の領地はハプスブルグ世襲領王国と9の選帝侯王国となった。 この頃、嫡男のいなかったスペイン王のスペイン・ハプスブルク家カルロス2世 Carlos Ⅱが「領地をフランス・ブルボン家に譲る」との遺言を残したことで、スぺインはフランス領となった。 これに対し、イギリス、オランダはオーストリア・ハプスブルク家と対フランス同盟 (ハーグ同盟)を結び、スペイン継承戦争(1701~1704)をフランスに宣戦布告した。 更にスペイン継承戦争直前に、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世との間に王冠条約を交わし、フリードリヒ3世はプロイセン王フリードリヒ1世を名乗ることができるようになった。 音楽や建築を好んだ。 生年1640~1705年没。 | ||
ボヘミア王(1655~1705)、オーストリア大公(1655~1705)、神聖ローマ皇帝(1658~1705) | ||||||
47 |
ヨーゼフ1世 Joseph Ⅰ |
ハンガリー王 1687~1711 |
息子 | 前国王レオポルト1世の長男。 スペイン王位を巡るスペイン継承戦争(1701~1714年)の最中、即位したが、急死した。 生年1678~1711年没。 | ||
ボヘミア王(1705~1711)、オーストリア大公(1705~1711)、神聖ローマ皇帝(1705~1711) | ||||||
48 |
カール6世 Karl Ⅵ |
ハンガリー王 1711~1740 |
弟 | 父である神聖ローマ皇帝レオポルト1世と3人目の妻エレオノーレ・マグダレーナ Eleonora Magdalenaの次男として生まれた。 スペイン継承戦争後にスペインの王位を継ぐと思われたが、兄王ヨーゼフ1世の死とその嫡男の早世により、先に神聖ローマ帝国皇帝に就いた。 これに反対した同盟国オランダ、イギリスは「スペインはフランス・ブルボン王の領地である」とスペイン継承戦争を終わらせた。 更にバイエルン選帝侯国がフランスと同盟を結んだ。 嫡男を得ずに亡くなくなる前、女子相続を認める相続順位法を制定したが、それはハプスブルク家領地内のみとなり、皇帝位の女子相続は叶わなかった。、 この治世、プロイセン王フリードリヒ2世(1世の孫)はフランス、スペイン、バイエルン選帝侯国、ザクセン選帝侯国と組み、ハプスブルグ家に反逆し、オーストリア継承戦争(1740~1748)を始めた。 生年1685~1740年没。 | ||
ボヘミア王(1711~1740)、神聖ローマ皇帝(1711~1740) | ||||||
49 |
マリア・テレジア Maria Teresia |
ハンガリー女王 1740~1780 |
ハプスブルグ家 Habsburg ハプスブルグ=ロートリンゲン家 Habsburg-Lothringen |
娘 | 父である神聖ローマ皇帝カール6世とクリスティーネ Christinaの長女として生まれた。 (オーストリア・)ハプスブルグ家の女当主とはなれたが、嫡男のみが皇帝位を継ぐという帝国法によって、神聖ローマ皇帝にはなれなかった。 ロートリンゲン家フランツ・シュテファン Franz Stephanを婿養子にしてハプスブルグ家の皇帝位を守った。 マリー・アントワネット Marie-Antoinetteの母親でもある。 生年1717~1780年没。 | |
オーストリア大公(1740~1780)、ボヘミア女王(1743~1780) | ||||||
50 |
ヨーゼフ2世 Joseph Ⅱ |
ハンガリー王 1780~1790 |
息子 | 父である神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの長男として生まれ、母マリアのおかげで即位した。 パルマ・ブルボン家の娘と結婚した。 宮廷儀式の簡素化し、プロテスタント、ギリシャ正教、ユダヤ教を容認した。 農奴制を廃止した。 作曲家モーツァルトを宮廷楽師として雇った。 生年1741~1790年没。 | ||
ローマ王(1746)、ボヘミア王(1780~1790)、神聖ローマ皇帝(1765~1790) | ||||||
51 |
レオポルト2世 Leopold Ⅱ |
ハンガリー王 1790~1792 |
弟 | 父である神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの三男として生まれ、母マリアのおかげで即位した。 スペイン・ブルボン家の娘と結婚した。 生年1747~1792年没。 | ||
ボヘミア王(1790~1792)、オーストリア大公(1790~1792)、神聖ローマ皇帝(1790~1792) | ||||||
52 |
フェレンツ1世 Ferenc Ⅰ フランツ2世 Franz Ⅱ フランツ1世 Franz Ⅰ |
ハンガリー王 1792~1835 |
従弟 | 父である神聖ローマ皇帝レオポルト2世とスペイン王でカルロス3世の娘ルドヴィカの後の間に生まれ、 最後の「神聖ローマ帝国皇帝」となった。 「三帝会戦」(1805~1806)で戦った。 ナポレオンの侵攻により、全世襲領土を「オーストリア帝国」としたため、最後の「神聖ローマ皇帝」となった。 そのため、初代「オーストリア皇帝フランツ1世」を名乗った。 長女マリー・ルイーズ Marie Louiseをナポレオン1世に嫁がせた。 最後の神聖ローマ皇帝で、最初のオーストリア皇帝(オーストリア=ハンガリー帝国皇帝)。 ハンガリー王としてはフェレンツ1世、ボヘミア王としてはフランツ2世。 神聖ローマ皇帝としてはフランツ2世。 生年1768~1835年没。 | ||
ボヘミア王(1792~1835)、神聖ローマ皇帝(1792~1806)、オーストリア皇帝(1804~1835) | ||||||
53 |
フェルディナント5世 Ferdinand Ⅴ |
ハンガリー王 1835~1848 |
息子 | 前国王フェレンツ1世の長男。 生年1793~1875年没。 | ||
オーストリア皇帝(1835~1848) | ||||||
54 |
フェレンツ・ヨージェフ1世 Ferenc József Ⅰ フランツ・ヨーゼフ1世 Franz Joseph Ⅰ |
ハンガリー王 1848~1916 |
甥 | 前国王フェルデナンド5世の甥。 ハンガリー王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世、 オーストリア皇帝としてはフランツ・ヨーゼフ1世。 生年1830~1916年没。 | ||
オーストリア皇帝(1848~1916) | ||||||
55 |
カーロイ4世 Károly Ⅳ カール1世 Karl Ⅰ |
ハンガリー王 1916~1918 |
親戚 | 前国王フェレンツ・ヨージェフ1世の親戚。 最後のハンガリー国王で、最後のオーストリア皇帝。 ハンガリー王としてはカーロイ4世、オーストリア皇帝としてはカール1世。 生年1887~1922年没。 | ||
オーストリア皇帝(1916~1918) | ||||||
※創作物に使用する場合は敬意をもって使用のこと。 ※世数表示は見間違いを防ぐため、アラビア数字で表記した。 ※(?)=調査、確認中。 |
||||||
Copyright© 2005- えんじぇる. All Rights Reserved. (無断転載禁止) |