歴代オランダ王名一覧

トップページへ 各国王名一覧
※ネーデルラント地方(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)がスペインから、 1648年、オランダ連邦共和国として独立し、フランスの支配を経て、ウィーン条約でオランダ立憲王国として、 ウィレム6世が1815年、ウィレム1世として王位に就いた。
※オラニエ=ナッサウ家 Oranje-Nassauの成立・・・12世紀、ドイツのディレンブルク Dillenburg 領主ナッサウ家がネーデルラントに領地を伸ばし、 結婚により、その中のオラニエ公領地を取得したことで成立した。
※立憲君主制・・・行政には権限を持っていないが、外交に力を入れている。
※宮殿・・・ハウステンボス宮殿 Huis Ten Bosch
王名 在位
備考
オラニエ=ナッサウ家当主名一覧表
1 ウィレム1世
Willem Ⅰ
1572~1584
2 マウリッツ
Maurits
1585~1625 息子
3 フレドリック・ヘンドリック
Frederik Hendrik
1525~1647
4 ウィレム2世
Willem Ⅱ
1647~1650
5 ウィレム3世
Willem Ⅲ
1672~1702 息子 1672年の第三次英蘭戦争で活躍したことにより、イギリスのヨーク公爵の娘(後のメアリ2世)と結婚し、後に ウィリアム3世としてイギリス国王を兼務した。
6 ウィレム4世
Willem Ⅳ
1747~1751 親戚
7 ウィレム5世
Willem Ⅴ
1751~1796 息子
オランダ国王名一覧表
1 ウィレム1世
Willem I
1815~1840 息子 スペインとの独立戦争で名を馳せたオラニエ=ナッサウ家のウィレム4世の直系子孫のウィレム6世が、 ウィレム1世としてオランダ王位に就いた。同時にギョーム1世 Guillaume Ⅰとして、ルクセンブルク大公も兼ねた。 1815年ウィーン会議で(南部のベルギー、ルクセンブルクを含む)オランダ立憲王国を誕生させた。 生年1772~1843年没。
2 ウィレム2世
Willem Ⅱ
1840~1849 息子 父王ウィレム1世と王妃ヴィルヘルミーネ Wilhelmineの息子。 父王同様、ギョーム2世 Guillaume Ⅱとして、ルクセンブルク大公位にも就いた。 生年1792~1849年没。
3 ウィレム3世
Willem Ⅲ
1849~1890 息子 父王ウィレム2世とロシア皇帝ハーヴァル1世 Harval Iの娘アンナ・パヴロヴナ Anna Paulownaとの息子。 祖父王、父王と同様にギョーム3世 Guillaume Ⅲとして、ルクセンブルク大公位にも就いた。 この治世途中、1830年のパリの7月革命の余波を受けて、ベルギーとルクセンブルクが独立した。 生年1817~1890年没。
4 ウィルヘルミナ女王
Wilhelmina
1890~1948 父王ウィレム3世と王妃エンマ Emmaとの娘。 生年1880~1962年没。
5 ユリアナ女王
Juliana
1948~1980 母王ウィルヘルミナとヘンドリック Hendrickとの娘。 夫のドイツ人ベルンハルト Bernhardが日本のロッキード事件に巻き込まれたりした。 生年1909~2004年没。
6 ベアトリクス女王
Beatrix
1980~2013 母王ユリアナとベルンハルトとの娘。 女性占い師に心酔した時期がある。 生年1938年~。
7 ウィレム・アレキサンダー
Willem Alexander
2013~ 息子 母王ベアトリクスとドイツ外交官のクラウス=ゲオルク・フォン・アムスベルク Claus-Georg von Amsbergとの息子。 しかし、ヒトラー配下のドイツ軍兵士での経験を持っていたため、反対運動が起きた。 100年ぶりの男性の国王となった。 王妃はアルゼンチン人マキシマ・ソレギエタ Máxima Zorreguieta。 一般企業にも就職し、飛行機パイロットの経験を持つ。聖職者のいない戴冠式を行った。 生年1967~。
※創作物に使用する場合は敬意をもって使用のこと。
※(?)=調査、確認中。
Copyright© 2005- えんじぇる. All Rights Reserved. (無断転載禁止)