歴代ルクセンブルク大公名一覧

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※フランス貴族の血を引くアルデンヌ家 Ardennenのジークフリート伯爵 Siegfriedが、 現在の首都ルクセンブルクの首都一帯に築城したことで成立した。
※ネーデルラント地方(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)がスペインから、 1648年、オランダ連邦共和国として独立し、フランスの支配を経て、ウィーン条約でオランダ立憲王国として、 ウィレム6世が1815年、ウィレム1世として王位に就いたと同時に、 ギョーム1世 Guillaume Ⅰとしてルクセンブルク大公(公爵)位についた。
王名 在位
備考
1 ギョーム1世
Guillaume Ⅰ
1815~1840 息子 スペインとの独立戦争で名を馳せたオラニエ=ナッサウ家のウィレム4世の直系子孫のウィレム6世が、 ウィレム1世としてオランダ王位に就いた。同時にギョーム1世 Guillaume Ⅰとして、ルクセンブルク大公も兼ねた。 1815年ウィーン会議で(南部のベルギー、ルクセンブルクを含む)オランダ立憲王国を誕生させた。 生年1772~1843年没。
2 ギョーム2世
Guillaume Ⅱ
1840~1849 息子 父王ウィレム1世(ギョーム1世)と王妃ヴィルヘルミーネ Wilhelmineの息子。 父王同様、ギョーム2世 Guillaume Ⅱとして、ルクセンブルク大公位にも就いた。 生年1792~1849年没。
3 ギョーム3世
Guillaume Ⅲ
1849~1890 息子 父王オランダ国王ウィレム2世(ギョーム2世)とロシア皇帝ハーヴァル1世 Harval Iの娘アンナ・パヴロヴナ Anna Paulownaとの息子。 祖父王、父王と同様にギョーム3世 Guillaume Ⅲとして、ルクセンブルク大公位にも就いた。 この治世途中、1830年のパリの7月革命の余波を受けて、オランダからベルギーと共にルクセンブルクが独立した。 生年1817~1890年没。
4 アドルフ
Adolph
1890~1905 縁戚 1890年、オランダのウィルヘルミナ女王が即位すると、ルクセンブルクでは男系相続しか認められないとして、 オランダ王家の遠縁のナッサウ家から、アドルフ・ヴィルヘルム・アウグスト・カール・フリードリヒ を大公に迎えた。 生年1817~1905年没。
5 ギョーム4世
Guillaume Ⅳ
1905~1912 息子 生年1852~1912年没。
6 マリー・アデライード
Marie Adélaïde
1912~1919 父王ギョーム4世は6人の娘をもうけたが、男子には恵まれなかったので、 長女のマリー・アデライードが女大公として即位した。 生年1894年~1919年没。
7 シャルロット
Charlotte
1919~1964 前々父王ギョーム4世の次女。 治世中、ナチスから侵攻を受けたが、亡命先から徹底抗戦を呼び掛けた。 生年1896~1985。
8 ジャン
Jean
1964~2000 息子 母王シャルロットとフェリックス・ド・ブルボン・パルム Félix de Bourbon-Parmeの息子。 第二次大戦中、ドイツ軍の侵攻により、アメリカに亡命したが、アイルランド軍に加わり、 1944年には連合軍として祖国解放に貢献した。 生年1921年~2019年没。
9 アンリ
Henri
2000~ 息子 父王ジャンが生存中に譲位された。 1998年からIOCの委員を務めている。 英語、フランス語、ドイツ語も堪能。 生年1955~。
※創作物に使用する場合は敬意をもって使用のこと。
※(?)=調査、確認中。
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