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※タイ王国の始まり・・・最初の王朝スコータイ王朝 Sukhōthai(1240年頃 - 1438年)の初代王シー・インタラ-ティットが統一国家を建国した。
その3代ラムカムへーン王 Ram Khamhaengがタイ文字を創った。
続いてアユタヤ王朝 Ayutthaya(1351年~1757年)にはクメール、ミャンマーとの戦争が続いたが、
国際的な交易の要となった。1939年までは「シャム」国と呼ばれていた。
現在のチャクリ―王朝 Chakriは1782年から始まっている。 ※世界一長い名前の首都バンコク・・・正式名称はクルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラ―ユッタヤー・ マハーティロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリ―ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・ アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。 ※王位継承・・・現国王が王族男子から指名する。男子がいない時のみ、王女が即位する。 ※ABCD支配体制・・・Aristcracy(王政)、Bureaucracy(官僚)、Chinese(華僑資本)、Defence(軍部)。 |
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代 | 王名 | 在位 |
関 係 |
備考 | ||
1 |
ラーマ1世 Rama I チャクリ |
1782~1809 | ー | アユタヤ王朝の血をひく。 生年1737~1809年没。 | ||
2 |
ラーマ2世 Rama Ⅱ |
1809~1824 | 息子 | 生年1767~1824年没。 | ||
3 |
ラーマ3世 Rama Ⅲ |
1824~1851 | 息子 | 生年1788~1851年没。 | ||
4 |
ラーマ4世 Rama Ⅳ |
1851~1868 | 弟 | ミュージカル「王様と私」のモデル。 生年1804~1868年没。 | ||
5 |
ラーマ5世 Rama Ⅴ チュラロンコン |
1868~1910 | 息子 | 77人の子供を作った。前父王ラーマ4世と共に、タイの近代化を目指した。 生年1853~1910年没。 | ||
6 |
ラーマ6世 Rama Ⅵ モンクット |
1910~1925 | 息子 | 生年1881~1925年没。 | ||
7 |
ラーマ7世 Rama Ⅶ ポック |
1925~1935 | 弟 | 1932年、軍のクーデターにより、絶対王政から立憲君主制になった。 生年1893~1941年没。 | ||
8 |
ラーマ8世 Rama Ⅷ アナンダ |
1935~1946 | 甥 | ラーマ5世の69番目の息子ソンクラーナカリンの息子に当たる。 射殺された。 生年1925~1946年没。 | ||
9 |
ラーマ9世 Rama Ⅸ プミポン |
1946~2016 | 弟 | 前兄王ラーマ8世同様、ラーマ5世の69番目の息子ソンクラーナカリンの息子に当たる。 ラーマ8世の急死により、18才で即位した。 従姉妹の王族シリキット・キティヤーコーンと結婚した。 在位期間は70年。王室の財政難のため、王室施設の一般公開をした。 戦後何回も起きていた軍部のクーデターに「ノー」を示し、「王室民主主義」を進めた。 大の親日家でもあった。 生年1927~2016年没。 | ||
10 |
ラーマ10世 Rama Ⅹ ワチロンコン |
2016~ | 息子 | アメリカ陸軍士官学校を卒業後、陸海空軍の大将を務めた。 品行方正ではなかったため、王位継承が危ぶまれた。 妻にソームサワリ―妃と子供を持ったが、離婚、スリラスミ妃と再婚した。 生年1952~。 | ||
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